【 概 要 】−信濃国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の勅願により全国に開かれた国分寺の1つです。天慶2年(939)の平将門の乱で一帯は将門と従弟である平貞盛との戦場となり堂宇の多くは兵火により焼失、その後、現在地に再建されたと推定されています。その後も脈々と受け継がれ慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際は、中山道を利用して西上する徳川秀忠軍に従軍した真田信之(昌幸の長男)と本多忠政が西軍に与した上田城の城主真田昌幸と会見した場所としても知られています。現在の信濃国分寺三重塔(三間三重塔婆、宝形、銅板葺、高さ20.1m、内部には須弥壇が設置され大日如来坐像が安置)は室町時代中期のに再建されたと推定されている三重塔婆で、外観は唐様と和様の混成で内部が純唐様、当時の仏教建築の遺構として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。信濃国分寺本堂は万延元年(1860)に建てられたもので、善光寺本堂(長野市)を模した外観、で入母屋、妻入、桁行6間、梁間4間、裳階付、正面1間軒唐破風向拝付、向拝木鼻には象や獅子、欄間には龍、唐破風懸魚には鳳凰の精緻な彫刻が施されています。信濃国分寺本堂は江戸時代後期の大型寺院本堂建築の遺構として貴重な事から平成9年に長野県指定県宝に指定されています。南方300m先に位置する信濃国分寺跡は国指定史跡に指定されています。寺宝も多く巴形銅器・蘇民将来符・八日堂縁日図・石造多宝塔・信濃国分寺勧進帳(11冊)・灰釉四耳壺・牛頭天王祭文(蘇民将来符の由来)などを所有しています。
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