【 概 要 】−独鈷山は塩田平の水源地として神聖視された信仰の山で、天長年間(824〜34)、空海(平安時代初期の高僧)が旱魃が続いた当地に恵みの雨を降らせる為、独鈷山の山頂に祈祷の基壇を設け草庵を結んだのが中禅寺の創建とされます。平安時代末期に安然坊により現在に移され、薬師堂をはじめ諸堂が造営され寺院として境内が整備されました。当時から信仰が広がり仁王門に安置されている木造金剛力士立像(長野県県宝)は後白河法王や平清盛の発願によるものされ、様式の特徴からも12世紀末頃制作と伝承を裏づけしています。中禅寺薬師堂も鎌倉時代初期に造営された推定される建物で建築年代から中部日本最古の建物と推定され、所謂、阿弥陀堂建築の特徴を備えた大変貴重な遺構として国指定重要文化財に指定されています。中禅寺薬師堂の本尊である木造薬師如来座像は鎌倉時代初期の13世紀に製作されたもので桂材、寄木造、像高97.8cm、脇侍である木造神将立像は南北朝時代末期の14世紀末に製作されたもので檜材、寄木造、像高68.2cm、両像共に国指定重要文化財に指定されています。その後、中禅寺は源頼朝、塩田北条氏などに庇護され寺運が隆盛したとも伝えられていますが永享年間(1429〜41)、寛文5年(1665)、享保5年(1720)の火災により記録を失い不詳、享保19年(1734)に祐精法印が中興開山し現在の本堂を建立しています。中禅寺本堂背後に建立されている石造五輪塔は製作年代は不詳ですが上田市内に残る五輪塔の中では古い形式にあたり、材質は安山岩、総高157cm、最大幅58cm、上田市指定文化財に指定されています。
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