【 安楽寺:概要 】 安楽寺(長野県上田市)が何時頃から開かれたのかは判りませんが、伝承によると奈良時代の高僧として知られる行基菩薩により創建されたと伝わる古寺です。平安時代に入ると信濃守とされる平維茂が帰依し、戸隠山に巣食う鬼女紅葉討伐の際には平定を祈願し、見事念願成就すると三重塔を安楽寺に寄進したとされます。平維茂は陸奥守平繁盛の子供とされ、信濃守の時代に鬼女紅葉討伐を行い17個所の深手を負い別所温泉の地で息絶えたとされます。温泉街にある将軍塚は何時の頃からか平維茂の墓とし、北向き観音堂を造営したとも云われています。鎌倉時代後期、木曽源氏出身とされる樵谷惟仙和尚が中国(宋)に渡り修行を重ね、寛元4年(1246)に帰国した際に、当時の領主塩田北条氏の招きにより安楽寺が事実上開かれています(上記の伝説を信じれば再興)。跡を継いだ幼牛恵仁和尚は中国(宋)の僧で樵谷惟仙和尚と共に日本に渡り安楽寺の住職の任に就いています。塩田北条氏は鎌倉幕府2代執権・北条義時の3男北条重時の5男北条義政を祖とし、義政の代に信濃国塩田荘(現在の長野県上田市)が与えられると地名から塩田北条氏と呼ばれるようになりました。塩田北条氏は義政、国時、俊時の3代に渡り塩田荘を支配し、安楽寺もその庇護により大きく繁栄し、日本でも有数の寺院だったとされます。元弘3年(1333)鎌倉幕府滅亡の際には塩田北条氏はこぞって鎌倉に参陣し、命運を共にした為、その後の安楽寺は衰退したと思われます。室町時代末期又は安土桃山時代に高井郡興国寺住持高山順京が臨済宗から曹洞宗の寺院として再興しています。現在、安楽寺の境内に建立されている八角三重塔は鎌倉時代後期の塩田北条氏が庇護している際に造営されたもので国宝に指定されています。
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