【 概 要 】−文殊堂は聖武天皇の御代(神亀元年:724年〜天平勝宝元年:749年)勅命により行基菩薩(奈良時代の高僧)が巡錫で信州を訪れると、景勝地である当地が霊地と悟りました。行基菩薩は奈良に戻り三躯の文殊菩薩を自ら彫り込むと、1躯を弟子園行に託し霊地である当地に安置するように命じました。園行は行基菩薩の命に従い堂宇を造営し本尊として文殊菩薩を安置、その後、霊験が広がり何時しか「日本三大文殊」の一つと称されました(日本三大文殊と呼ばれているものは、亀岡文殊堂(山形県)、安倍文殊院(奈良県)、切戸文殊(京都府)、黒谷文殊(京都府)、市川文殊(山梨県)、竹林寺(高知県)、文殊仙寺(大分県)など)。鹿教湯温泉の開湯伝説にも大きく影響し、鹿の姿になった文殊菩薩が日頃文殊菩薩を信仰していた地元猟師に源泉の在り処を教えたと伝えられています。現在の文殊堂は宝永6年(1709)に建てられたもので入母屋、銅板葺(元茅葺)、正面に後年増築(元々は3間四面)された下屋に向拝が付いています。建物全体が極彩色で彩られ、特に正面欄間には龍や牡丹、植物など繊細な彫刻が施され外陣天井には巨大な飛龍の絵画、屋根棟先の鬼面、数多くの絵馬が掲げられています。文殊堂は江戸時代中期の長野県有数の寺院建築として昭和63年に長野県県宝に指定されています。現在は鹿教湯温泉の麓にある曹洞宗寺院天竜寺が管理しています。
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