長野県・佐久市・新海三社神社

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【 概 要 】−新海三社神社の創建年は不詳ですが佐久地方を開拓した興波岐命を祀る古社で周辺には数多くの古墳が発見されていることから古くから神聖視されていた場所だったと思われます。興波岐命は諏訪大社(長野県)の健御名方命と貫前神社(群馬県富岡市)の荒船大明神の子供とされ、新海三社神社が境内を構える佐久地方が諏訪地方と上野国との境界近くに位置する事が暗示されています。又、平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社英多神社であったという説もあり江戸時代には安原に鎮座する英多神社と本社争いが起こっています。祭神には興波岐命と父神である健御名方命(母神は群馬県貫前神社の荒船大明神)と叔父神である事代主命の三神が祀られ新海三社神社と称するようになり佐久郡三庄三十六郷の総社として広く信仰されました。その後、鎌倉時代初代将軍源頼朝が源氏の氏神である誉田別命に分霊を勧請し篤く庇護し、源氏の後裔とされる足利家や武田家、徳川家も同様に庇護し、特に武田信玄は永禄6年(1565)に上州侵攻による箕輪城攻めの際、戦勝祈願文を奉納し、念願成就すると天正年間(1573〜93)には感謝の意から社殿の改修を行っています。新海三社神社は古くから神仏習合し別当寺院として新海山上宮本願院神宮密寺が祭祀を担っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により神宮密寺は上宮寺に寺号を改称して移転、堂宇も三重塔(当時は新海三社神社の倉庫という理由で破却を免れた)以外は破却されました。新海三社神社の境内には古建築物が多く東本社(室町時代建築、国指定重要文化財)、三重塔(永正12年:1515年建築、国指定重要文化財)、中本社(江戸時代中期建築、佐久市指定文化財)、西本社(江戸時代中期、佐久市指定文化財)が文化財指定を受けています。

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