【 概 要 】−生島足島神社は案内板によると「 太古より大八州の御霊として祀られ日本総鎮守として仰がれこの古社で昔建御名方命が諏訪の地に降下される途すがら、この地に御留りになり、2柱の大神に奉仕、米粥を煮て献ぜられたと伝えられ、その古事は今も御籠祭と云う神事に伝えられている。御本殿には床板が無く、土間の大地が御霊代とされている。」とあります。生島足島神社の創建年の詳細は不詳ですが古くから広く信仰され、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では名神大社に列しいます。時の権力者や歴代領主に崇敬され大同元年(806)には神封戸の寄進があり、建治年間(1275〜78)には北条国時が社殿を造営し、永禄2年(1559)には武田信玄が戦勝祈願(対上杉)をして社殿修繕料を寄進、真田昌幸・信幸をはじめ歴代上田城主が社殿の再建や社領の寄進を行っています。現在の生島足島神社本殿内殿(長野県宝)は天文年間(1522〜55)に建てられた建物で切妻、板葺(元こけら葺)、桁行3間、梁間2間、向って左側2間が内陣、右側1間が外陣で共に床がなく、内陣の土間が御神体とされています。生島足島神社歌舞伎舞台は明治元年(1868)に建てられた建物で、桁行9間、梁間7間、中2階に「太夫坐」や「下座」を設け中央には「廻り舞台」その前方に「せり上り」があります。長野県に残る農村歌舞伎舞台では最大規模で全国的にみてもトップクラスとされ、ほぼ完全な形を残している貴重な建物として長野県県宝に指定されています。生島足島神社摂社諏訪社本殿は慶長15年(1610)に上田藩主真田信之が再建されたもので一間社流造、銅板葺(元こけら葺)、蟇股や脇障子などに繊細な彫刻を施こし極彩色が彩られています。江戸時代初期の神社建築として貴重な存在で同時期に建てられた門と共に長野県県宝に指定されています。
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