長野県・佐久市・龍岡城五稜郭

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【 概 要 】−三河奥殿藩1万6千石の藩主だった松平乗謨は拠点を田野口に移し改めて田野口藩(龍岡藩)を立藩、居城を龍岡城と定め元治元年(1864)に築城を開始。その際幕府には洋式築城で届け許可を受け全国で函館五稜郭に次いで2城目の五芒星形の西洋式城郭となりました。乗謨は才覚に優れた人材で幕府では陸軍奉行や陸軍総裁などを歴任し老中格とされ洋式城郭もある種の先見の明からくるものであったと思われます。城内には藩主宅邸や政庁などが設けられ凹面に門を配置、大手門は枡形にするなどの工夫が見られる一方で、資金が少なく、短期間で明治維新を向かえたこともあり、土塁も低く、堀は全面に水を満たせず砲台も西方に一基しか設ける事が出来なかったなど実戦的な完成までは至りませんでした。明治5年に龍岡城は廃城、城内は畑地や小学校の校庭となり多くの施設は破棄や払い下げとなりましたが、城域自体は現状が保たれ五稜郭の特徴である五芒星形の形に沿った土塁、石垣、堀の遺構が明確に残っています。又、施設として残された御台所櫓は田口小学校校舎として再利用された後に現在地に移築されています。その他の遺構は御殿の大広間が市内の時宗寺の本堂、城門が成田山薬師寺の山門と民家の表門としてそれぞれ移築されています。龍岡城は日本に数少ない洋式城郭で2例しかない五稜郭であることから昭和9年に国指定史跡に指定されています。
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龍岡城五稜郭(佐久市):周辺の見所

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