【 概 要 】−駒形神社が何時頃から信仰を始めたのは判りませんが、信濃国には古代から良馬の産地として知られ奈良時代後期には天皇の勅旨により開発された牧場である勅旨牧が定められ、信濃国では16カ所が選定されました。その中心的な存在だったのが望月牧で、駒形神社はその守護神的な存在だったと推定され、社号の「駒形」や本殿に安置されている騎乗の男女神像などはその名残とも思われます。一方、駒形は大陸からの渡来人である高麗方(人)に因むもので、高麗人の祖神が祭られているとも考えられます。中世に入ると、駒形神社周辺は大井氏が支配するようになり、境内は大井氏の城郭の1つ駒形城の城跡とも云われています。文献上は明確ではありませんが、境内には土塁跡と思われる土盛や堀跡と思わる窪みが見られるなど城跡の雰囲気が残されています。大井氏の詳細も不詳ですが、天正10年(1590)に信濃国では武田家が滅び、織田信長が本能寺の変で死没した事で権力の空白が出来ると徳川家に属するようになり、天正18年(1590)の奥州仕置の一環として徳川家康が関東に移封になると大井氏も従い当地を去っています。その後の駒形神社は僅かな社領が認められ明治維新を迎えています。駒形神社の本殿は室町時代に造営された古建築物で国指定重要文化財に指定されています。
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