【 概 要 】−諏訪神が最初に降臨した場所で聖地として信仰されてきました。その後、境内前方には「神原」と呼ばれ祭祀を司った大祝の居館が設けられ、大祝職位式や大御立座神事など諏訪大社上社の全て神事が当地で執り行われました。その為、上社前宮境内には儀式を行う数多くの社殿が建立され荘厳な雰囲気があったそうです。室町時代に入り上社本宮が創建し、大祝家の居館が移されると急速に衰退し僅かな社殿が残すだけとなりました。さらに、格式も本宮の摂社という形式を長く続けられ明治時代に入りようやく同列に扱われるようになり上社は本宮・前宮、下社は秋宮・春宮となり二社四宮という現在の形式が確立しました。残された十間廊(往時は諏訪祭の政の全てが行われた政庁のような社殿、貢物も集められ吟味された。上社最大の神事御頭祭は、前宮十間廊に御神輿を安置して行なわれます。)や内御玉殿(諏訪神の祖霊が降臨するとされる御神宝が安置された社殿)では御柱祭や蛙狩神事、御頭祭などの神事が脈々と受継がれ諏訪大社の源流として信仰されています。本殿は無く、本宮と同様に守屋山が御神体で、守屋山を背に拝殿(切妻、平入、神明造:厳密には拝殿でもないようですが、境内の最も奥に位置し最も神聖な空間です。)が配され、それを囲むように4本の御柱が建てられています。
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