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諏訪大社下社秋宮概要: 諏訪大社の創建は不詳ですが古くから信仰されてきた神社で孝徳天皇8年(652)、持統5年(691)、 大宝3年(703)には朝廷から勅使が派遣され、承和9年(842)には従五位下、貞観9年(867)に従一位、天慶3年(940)に正一位(八坂刀売命は永保元年)、に授けられ延喜式神名帳には名神大社に列し信濃国一之宮となりました。下社春宮の祭神は建御名方命、八坂刀売命、御兄八重事代主神、主祭神は境内背後にある和田峠守護の神と考えられている八坂刀売命とされ金刺氏が大祝を務めています。下社では半年ごとに遷座祭が行われ2〜7月には春宮、8〜1月までは秋宮に祭神が交互に鎮座が変わります。この神事は秋に山の守護となっていた山の神が春になり里へ降り農作物の守護となる田の神に変わるという行為によく似ています。下社秋宮には本殿が無く御神木であるイチイの木を祭っていているとされ、その前には東西宝殿、さらに前には幣拝殿と左右片拝殿と神楽殿が建立され、さらに境内を囲むように4本の御柱が建てられています。これらの社殿配置は諏訪大社特有のものとされ、諏訪周辺の神社にも同じ様な系統の神社が分布しています。下社大祝である金刺氏は神武天皇の御子神八井耳神の後裔とされ上社大祝より神格化されなかったとされますが武芸的には秀でた家系で今は廃れましたが以前は霧が峰の八島に、広大な屋外円形桟敷を設けて武芸大会(神事の一種)が行われていたと伝えられています。室町時代に入り上社と下社の間に騒乱がおき多くの社殿、社宝、記録など焼失、江戸時代に入ると幕府が庇護し下社には500石の神領が安堵され、社殿も随時再建されています。又、諏訪周辺を領する高島藩主には諏訪氏直系で武田氏に滅ばされた諏訪頼重の従兄弟に当たる頼忠が徳川家康に仕えて諏訪氏を再興し息子の頼水が藩主となり庇護されます。江戸時代に入り中山道が開削され下諏訪宿が開かれると多くの信者、旅人が参拝に訪れ社運も隆盛したとされ、特に宿場のいたるところに温泉が湧き出たことで湯治場としても多くの人達が利用しました。秋宮の社殿は諏訪出身の宮大工立川和四郎初代富棟が手掛け、安永10年(1781)に竣工しました。 明治時代初頭に発令された神仏分離令と廃仏毀釈により仏式が排除され付近寺院に移されています。又、特殊神事として寅年と申年に、樅を山中から切り出し、境内の四方に神木を建てる諏訪大社式年造営御柱大祭があります。
諏訪大社下社秋宮の文化財
・ 秋宮幣拝殿−安永6年・二重楼門−国指定重要文化財
・ 秋宮左片拝殿−安永10年−国指定重要文化財
・ 秋宮右片拝殿−安永10年−国指定重要文化財
・ 秋宮神楽殿−天保6年−国指定重要文化財
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| 諏訪大社下社秋宮 |
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