【 概 要 】−守矢家は古くから諏訪大社の祭祀を司る大祝家を補佐する家柄で祖先は諏訪大社が勧請される前からの土着神だったとされます。その土着神は洩矢神(モレヤ神)と呼ばれミシャグジ神=竜神(諏訪湖の主)と同一視されています。当時の諏訪地方ではこの洩矢神を信仰する事が心の拠り所であり、現在諏訪大社に伝わる「御柱祭」の4本の柱は洩矢神の依り代、御頭御占神事は洩矢神と共に土室の中で行われる、など神事の殆どが洩矢神やミシャグジ神に関係しているとされ、さらに、縄文時代から引き継がれているとも云われています。御神体も御射山(守屋山)とされ本来、自然と密着した信仰でした。朝廷の勢力が諏訪地方に及んだ際はかなり抵抗があったとされ、周辺にはそれと思わせる伝承が伝えられています。守谷家の祈祷は一子相伝で、この祈祷殿に1人籠り戦勝祈願・悪病退散・きつね落とし・天変地変予言などを行ったとされ、往時は上社五官の筆頭として祈祷や政務事務を掌握し諏訪大社における大きな影響力をもつようになります。現在の祈祷殿は明治元年(1868)に建てられた切妻、平入、銅板葺、華美な彫刻や極彩色などを廃した建物で昭和56年に茅野市指定有形文化財に指定されています。
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