【 概 要 】−万治元年(1658)、松代藩2代藩主真田信政は父親である初代藩主真田信之に先立って死去、享年62歳、戒名「円陽院殿威良一中大居士」、遺体は真田家の菩提寺である長国寺に葬られ2年後の万治3年(1660)に境内に御霊屋が造営されました。その際、信政と同じ年で死去した信之の御霊屋も同時に造営され、殆ど同じ規模、同じ意匠となっています。昭和初期まで御霊屋は長国寺の3代藩主真田幸道の御霊屋の北側に並んでいましたが昭和27年(1952)に林正寺の本堂として現在地に移築されています。本堂は桁行3間、梁間4間、入母屋、瓦葺き(元こけら葺き)、平入、正面千鳥破風、正面軒唐破風1間向拝付、向拝木鼻には象と獅子、欄間には唐獅子、妻壁には真田家の家紋である「六文銭」の彫刻が施され、外壁は板張、黒漆塗りで仕上げられています。内部の天井は格天井で花鳥風月の絵画が描かれ、欄間には天女の彫刻が施され極彩色で彩られています。内部は漆塗りの上に極彩色で彩られ細かな彫刻や組物が施されています。正面の山門も本堂と同じ万治3年(1660)に御霊屋の表門として建てられたもので本堂と共に昭和41年に長野県の県宝となっています。
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