長野県・長野市松代町・旧文武学校

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【 概 要 】−松代藩では6代藩主真田幸弘が城下に稽古場を設けて、宝暦8年(1758)には江戸から儒学者である菊池南陽を召還するなど人材育成に尽力しました。文化3年(1806)に稽古所が火事により焼失し新たに清須町の喰御用屋敷が学問所として開設します。8代藩主真田幸貫の時代になると喰御用屋敷(学問所)も手狭となり広く学問を学ぶ事が望まれた為、新たに藩校の建設が計画されました。松代藩士で、松代三山に数えられた佐久間象山は「学制意見書及学堂規則」を家老である矢沢監物に提出し水戸藩の藩校である弘道館(茨城県水戸市)に倣う為、藩士数名が水戸藩に派遣され、藩校の教育方法や経営、建物の仕様などを習得させました。当時の松代藩の財政は逼迫していましたが幸貫の英断により藩校の建設が開始され、途中に幸貫の死去という不幸がありましたが9代藩主真田幸教は先代の偉業を引き継ぎ嘉永6年(1853)に完成しました。他の藩校とは異なり宗教色を排除したことから儒教的な教育は行わず孔子廟も建てられませんでした。校内には正庁・東序・西序・剣術所・柔術所・弓術所・文庫蔵・番所・門などが設けられた本格的なもので当時では最先端であった西洋医学や西洋砲術なども教えていたそうです。明治時代に入ると兵制士官学校を併設しましたが明治4年(1871)の廃藩置県と明治5年(1872)の学制制度の発令によって廃校となりました。ただし、その後も教育施設として利用され昭和40年代まで松代小学校の校舎でした。現在の旧文武学校の建物群は開校当時の姿のまま保存されており全国的に見てみも貴重な存在として昭和28年に国指定史跡に指定されています。
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旧文武学校(長野市松代町):周辺の見所

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