長野県・伊那市高遠町・建福寺

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【 概 要 】−建福寺の創建は安元2年(1167)、文覚上人(平安時代末期から鎌倉時代初期の真言宗の高僧)が現在の本堂裏手にあった「独鈷の池」付近に一宇を設けたのが始まりとされます。その後荒廃しましたが建長5年(1253)には鎌倉の建長寺を開山した大覚禅師が現在地に再興し臨済宗に改宗、寺号を乾福興国禅寺としました。元亀2年(1571)、高遠城の城主武田勝頼が生母である諏訪御料人の追善供養の為、大龍山臨済寺から鉄山和尚を召還、諏訪御料人の戒名「乾福寺殿梅厳妙香大禅定尼」に因み乾福寺に改称したと思われます。天正7年(1579)、武田信廉(武田信玄の実弟)が清見寺住持東谷禅師を招き中興開山し妙心寺派に改めています。江戸時代に入ると高遠藩主保科家の菩提寺となり保科正光が父親である保科正直の戒名「建福寺殿天関透公大居士」と自らの戒名「大宝寺殿信巌道義大居士」から寺号を乾福寺から大宝山建福寺に改めています。歴代領主からも庇護され武田氏、織田氏、保科氏からの古文書(伊那市指定文化財)が保管され、特に保科氏からは文禄年間(1592〜96)に黒印3通を賜っています。境内には保科正直、正光の墓碑の他、諏訪御料人の墓碑、参道両側には石工である守屋貞治、渋谷藤兵衛等が手掛けた石仏群(伊那市指定文化財)があります。寺宝の狩野興以筆の百衣観音・竜・虎による三幅対は国指定重要文化財に指定されています。
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建福寺(伊那市高遠町):周辺の見所

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