【 概 要 】−忠恩寺の創建は永禄2年(1559)、長沼城主島津淡路守の招きで貞誉秋応が開山したのが始まりと伝えられています。慶長6年(1601)に現在地に移転すると歴代飯山藩主に庇護され、特に菩提寺とした松平氏と本多氏からは松平忠偵は寺領16石を、享保15年(1730)には本多豊後守は供養米50俵を寄進しています。境内には本堂、庫裏、山門、鐘楼、地蔵などの他に歴代松平氏と本多氏の墓所があります。本尊である黒本尊(室町時代制作、飯山市指定文化財)は本多廣孝が徳川家康から拝領した秘仏で8月15日のみ御開帳されます。※現在、堂宇が改修された為、鐘楼 山門は銅板葺き、地蔵堂は銅板葺き、欅床張りになっています。
【 本多家墓所 】 2代本多康明(法名:霊光院、享保15年:1730年卒、享年22歳)・8代本多助成(法名:文明院、慶応4年:1868年卒、享年23歳)・9代本多助寵(法名:成就院、明治2年:1869年卒、享年14歳)・4代本多助盈の娘(法名:乾樹院、安永6年:1777年卒、享年29歳)・4代本多助盈の娘(法名:演授院、宝暦元年:1751年卒、享年6歳)・7代、10代(再任)本多助実の息子(恭五郎、文久3年:1863年卒、享年2歳)
【 松平家墓所 】 詳細不詳。法名の智光院、宝池院、法雲院、開化院の墓碑が建立されています。初代松平忠倶(法名:然誉浄梵道恵深正院、元禄9年:1696年卒、享年63歳)の墓碑はありません。2代松平忠喬(法名:仁誉興徳道融霊台院、宝暦6年:1756年卒、享年75歳)の墓碑は移封先の兵庫県尼崎市の深正院にあります。
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