【 概 要 】−木曽平沢(長野県塩尻市)は中山道(木曽路)沿いに発展した町ですが所謂宿場町ではなく、隣の奈良井宿の枝郷としての位置づけでした。慶長3年(1598)に奈良井川の対岸にあった中山道を現在のように付け替え慶長7年に街道の整備が行われたと同時期に町が成立したと考えられています。寛永2年(1749)の大火後に現在の町並みが形成され、主屋と街路との間にはアガモチと呼ばれる空地を設けたり、隣の主屋同士も近接させず敷地奥にあるヌリグラ(漆塗りの作業場)への通路にするなど火災への工夫が見られます。基本的な主屋は2階建て、又は中2階建て、切妻、平入、板葺石置屋根で間口が3間が多く、ヌリグラは通常の土蔵より開口が大きくとり漆器の作業に適した建物になっています。木曽平沢は全国的にも少ない漆器生産の町として特徴ある町並みで伝統的町屋や塗蔵など多数現存していることから平成18年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
【 木曽漆器 】 江戸時代に中山道が整備され人の往来が多くなると、木曽地方で比較的安易に手に入るヒノキ、桂、栃などを原料にして御土産品や日用品などが作られ、旅人や流通業者に販売する職人が発生の起源とされます。特に流通業者は江戸や大坂、京都、名古屋といった大消費地にも顔が効いた事から木曽漆器の名声は全国的に広まりました。当初は奈良井宿が主な生産地で「木曽物」などと呼ばれていましたが、江戸時代後期になると平沢産の漆器が特に名声を高め「平沢塗物」と呼ばれるようになりました。特に、「木曽春慶」、「木曽変わり塗り(木曽堆朱)」、「塗り分け呂色塗」の3つの伝統技法が特徴とされ昭和50年に経済産業省の伝統的工芸品に指定されています。
【 長野県の重伝建地区 】 [ 奈良井宿 ]・[ 木曽平沢 ]・[ 妻籠宿 ]・[ 海野宿 ]・[ 稲荷山宿 ]・[ 青鬼集落 ]
|