長野県・塩尻市・永福寺(木曽義仲縁)

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【 概 要 】−永福寺の創建は大永元年(1521)、木曽義仲(源義賢の次男。源頼朝・義経とは従兄弟。倶利伽羅峠の戦いなどで平家に勝利し上洛、征東大将軍になるも源範頼・義経に追討され、粟津の戦いで討死)の後裔とされる文明和尚が木曽義仲が篤く帰依していた馬頭観世音を本尊として観音堂を建てたのが始まりとされ、義仲が朝日将軍と呼ばれていた事に因み朝日観音と呼ばれました。元禄15年(1702)、義方上人が木曽義仲の縁の地とされる現在地に境内を移し享保2年(1717)に正式な寺院として成立し永福寺を号しました。その後、火災により堂宇が焼失し安政2年(1855)に再建されました。現在の永福寺の境内にある観音堂がその時のもので2代目立川和四郎富昌が棟梁として建築を指揮しました。建物は入母屋、茅葺、桁行き3間、梁間4間の妻入りで屋根上部は箱棟で正面には向拝が付き、富昌が建築途中で死去した為、遺作とされ、彫刻に未完の部分が残されています。正面にある山門(仁王門)は明治29年に建てられたもので三間一戸、入母屋、桟瓦葺き、総欅、楼門形式、棟梁には立川和四郎富昌の弟子として観音堂にも協力した立木音四郎種清があたりました。永福寺観音堂と山門は塩尻市指定有形文化財に指定されています。
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