【 概 要 】−案内板によると「 室町時代から仁科氏に仕え、東龍寺の開基である。大坂冬の陣にも出陣し、江戸時代は庄屋として鮭、鴨猟の際松本藩主の休息所として御本陣と呼ばれた。須弥山式石組の庭園は江戸時代中期のもので、書院と共に良く保存されている。」とあります。正面の長屋門は江戸時代後期に建てられた切妻、桟瓦葺、桁行き20間、梁間4間、桁行33.82m、梁間4.65m、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押さえ、中央に表門、左右に部屋が設けられている大型な長屋門で江戸時代には大名屋敷など格式の高い身分しか建てる事が許されなかった事からも等々力家の格式が偲ばれます。等々力家の長屋門と当家に伝わる古文書(3点:天正8年(1580)仁科盛信の書状・条目、慶長19年(1613)三枝元久の書状)は共に平成20年(2008)に安曇野市指定有形文化財に指定されています。庭園にあるビャクシンは樹齢推定約600年、幹周2.93m、平成20年(2008)に安曇野市指定天然記念物に指定されています。※大坂の陣−慶長19年(1614)〜慶長20年(1615)に豊臣方と徳川方との戦い。この戦いの結果、豊臣家は滅び、徳川家の天下が確定した。
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