【 概 要 】−有明山神社(安曇野市)の創建は不詳ですが古くから有明山(標高:2268m)は霊山として信仰され、坂上田村麻呂が東夷東征の際、この地を訪れ戦勝祈願を行ったと伝えられています。有明山は山姿が美しい事から有明富士、信濃富士、安曇富士の異名があり山頂の北岳には有明山神社の奥宮が鎮座、さらに、中央にも聞こえた存在で西行法師は「信濃なる有明山を西に見て 心細野の道を行くなり」、藤原定家は「てりかはる紅葉をみねの光にて まつ月細き有明の山」の歌を残しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により神社として独立し明治8年に現在地に里宮(現在の本宮)が建立されました。正面にある随神門は明治35年に日光東照宮の陽明門に模して建てられたもので三間一戸、八脚単層門、妻二重虹梁、切妻造軒唐破風付、銅瓦葺、棟梁は佐々木喜十、彫刻(木鼻には獅子、桁には龍、懸魚には鳳凰、その他、力神や中国故事、十二支、仙人など)は清水虎吉(立川流彫刻師)、格天井は京都の絵師村田香谷(福岡県出身。村田東圃の養子。名:叔、別号:蘭雪・適圃等。画を貫名海屋、詩を梁川星巌、南画を徐雨亭・鉄翁祖門・木下逸雲)が担当し、「裕明門」の別称があります。手水舎は棟梁山口権之助(飛騨の匠)が手懸け、切妻、瓦葺、正面には麒麟と鳳凰、裏面には鷹と虎、左面には牡丹、右側には龍の彫刻が施され屋根には鯱、獅子、仙人が施されています。有明山神社の裕明門ならびに手水舎はと有明山神社神楽殿の小組格天井板絵(82点)、有明山神社の詩歌集「残月集」(12帖)は平成20年(2008)に安曇野市指定有形文化財に指定されています。有明山神社の御祭神は手力雄命、八意思兼命、大己貴命他。
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