【 概 要 】−鐘の鳴る丘集会所は明治時代に遊郭建築として建てられた建物で、大正時代に現在の有明高原寮敷地内に移築され13キロ離れた中房温泉から引き湯して温泉旅館として改修されました(屋根上部に時計台が設けられた)。当時は有明温泉と称して大いに賑いましたが、引き湯の距離が余りにも長かった為、温度や湯量に問題があり昭和初年に廃業に追い込まれました。旅館が閉鎖後は数十年放置されましたが、松本市の篤志家が買い取り、時計台や3階部分を取り外し改修し松本少年学院の施設となりましたが、数年後は国所管の有明高原寮に移行しました。昭和55年に改築で取り壊す予定だったものを旧穂高町が譲り受け、現在地である松尾寺公園内に移築保存されることになりました。又、菊田一夫作の「鐘の鳴る丘」の舞台となった事でも有名で、大正時代の宿泊建築の遺構としても貴重な事から平成20年(2008)に安曇野市指定有形文化財に指定されています。 鐘の鳴る丘集会所は平面は左右対称で玄関上部はバルコニーとして大きく張り出し、塔屋(時計台:現在は毎日10時、12時、15時に「とんがり帽子」の音楽が流されます。)を高く掲げるなど当時の洋風建築の要素を取り入れています。
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