白馬村・霧降宮切久保諏訪神社

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【 概 要 】−霧降宮切久保諏訪神社の創建は不詳ですが千国庄が成立した平安時代末期から鎌倉時代初期に諏訪大社下社(信濃国一宮、名神大社、諏訪信仰の本社、官幣大社、別表神社)の分霊を勧請したと思われています。以来、千国庄(塩島・立の間・通・青鬼・切久保)の鎮守として信仰され、江戸時代には松本藩四大社として藩主からも崇敬されます。古くから神仏習合し別当寺院として月光寺が担っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃されています。神仏混交の名残として社宝である至徳3年(1386)作の銅製鰐口が白馬村指定文化財に指定されています。現在の本殿(白馬村指定文化財)は明暦4年(1658)に再建されたもので三間社流れ造り、こけら葺、金原周防定兼と横田喜平次が棟梁として手掛けた事が棟札によりわかっています。拝殿は切妻、鉄板葺、平入、桁行6間、梁間3間、外壁は真壁造、板張り素地。神楽殿は入母屋、鉄板葺、平入、桁行5間、梁間2間、外壁は真壁造、板張り素地。祭神は建御名方神、八坂刀売神、天手力男神、天照大御神、八縣宿祢神。
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霧降宮切久保諏訪神社(白馬村):周辺の見所

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