【 概 要 】−満光寺の創建は天正元年(1573)、高遠城の城主武田信廉が笈住上人(浄土宗の高僧、武田信玄が帰依し、多くの浄土宗寺院を開山した。)を招き開いたのが始まりとされます。元禄時代に入ると高遠藩主となった内藤家の菩提寺になると寺運が隆盛し伊那郡の録所として郡内の浄土宗の中心的役割をもちました。元文4年(1739)に本堂を再建した際、長野善光寺と同じ撞木造を採用し科の木(シナノキ)を多様、桁行12間、梁間12間の大型建築だった事から「信濃の科寺」や「伊那善光寺」などの別称があり領内随一の伽藍だったと言われています。明治32年(1899)の火災により鐘楼門以外の本堂や庫裏が焼失、その後再建された本堂や位牌堂は防火を意識した土蔵造りの珍しい構造を採用しています。鐘楼門は延享元年(1745)に再建されたもので八脚楼門、三間一戸、入母屋、銅板葺き、真壁造、白漆喰仕上、開口部は花頭窓、上層が鐘付堂で周囲には高欄、棟梁は三河長篠出身の牛久保流菅沼定次、昭和36年に伊那市指定有形文化財に指定されています。又、境内にはひとめ見るだけで極楽往生できるといわれている「極楽の松(推定樹齢500年、信玄の遺命により信廉が高遠城から満光寺の境内に移植したと伝えられています)」や内藤家歴代の墓碑、保科左源太の墓碑(伊那市指定文化財)などが建ち並んでいます。
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