【 北向観音:概要 】 北向観音の境内に隣接する薬師瑠璃殿に安置されている薬師如来像は奈良時代に高僧として知られた行基菩薩が当地を訪れた際、別所温泉の守護仏として自ら彫刻し安置したのが始まりとされます。別所温泉の開湯伝説としてはさらに時代が遡り日本武尊が発見したと伝わり、同じ上田市の市内には初期の信濃国府が設置されていた事から奈良時代前後には既に別所温泉の所在が知られていた可能性が高いと思われます。行基菩薩が別所温泉まで訪れていたのかは判りませんが、行基菩薩は薬師寺で修行していた事から、薬師如来を守護神として祭る温泉街では行基伝説が伝えられる例は全国各地で見られ、長野県では別所温泉をはじめ、渋温泉(長野県下高井郡山ノ内町)や鹿教湯温泉(長野県上田市鹿教湯温泉)、湯田中温泉(長野県下高井郡山ノ内町)、野沢温泉(長野県野沢温泉村)が挙げられます。さらに、行基菩薩は別所温泉で安楽寺、常楽寺、長楽寺を開山したとの伝承も伝えられていますが、同時のその後に入ったとされる慈覚大師円仁と明福大僧都が創建したとの伝承もあり、どちらが正しいのかは判別が難しところです。北向観音の前身である大悲閣は慈覚大師円仁が創建したとも云われ平維茂や北条国時などが再興に関わったとされます(上記の安楽寺、常楽寺、長楽寺も行基菩薩では無く慈覚大師円仁が創建したとの伝承もあります)。江戸時代に入り善光寺詣が盛んになると北向観音の参拝者が飛躍的に増え、北向観音の本尊である千手観音像が現世利益、善光寺の本尊である阿弥陀如来像は未来往生に御利益がある事から、両方詣でると現世と来世の両方に御利益があるとして「善光寺だけでは片参り」と詠われるようになりました。
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