【 概 要 】−諏訪大社(長野県)創建年は不詳。古事記で記載された国譲り神話で大国主命の次男、建御名方命を祭神としています。建御名方命は瓊瓊杵尊に従った武甕槌命に敗れ諏訪にまで逃れ、生涯この地から出ないように誓わされたとされます。敗れたとはいえ、親族の中で唯一戦いを望んだ姿勢が武神として神格化し、武家、武将から篤く信仰され全国各地に諏訪神社が創建されました。現在は多くが廃れてしまいましたが特殊神事が多く、社殿の形態や配置など全国的に見ても異質、特異な存在で、7年毎に行われる御柱祭は長野県指定無形民俗文化財に指定されています。本殿が無く、守屋山が御神体で当時は守屋山に向かって社殿が配されていたようで、現在は諏訪造りという重層の幣拝殿の両側に片拝殿が設け東西に宝殿が配される独特な形態が継承されています。格式も高く延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社として記載され信濃国一ノ宮として歴代領主のみならず、為政者や有力武将などからも崇敬されました。古建築物も多く、四脚門・幣殿・拝殿・左片拝殿・右片拝殿・脇片拝殿・神楽殿が国指定重要文化財に宝殿・布橋・勅使殿・五間廊・本宮入口御門が諏訪市指定有形文化財にそれぞれ指定されています。
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