長野県・木曽町・興禅寺

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【 概 要 】−興禅寺の創建は永享6年(1434)木曽信道が先祖である木曽義仲の追悼の為、大華和尚を招き開山したのが始まりと伝えられています。以来、木曽家歴代の菩提寺として庇護され寺運も隆盛し木曽三大寺の1つに数えられました。戦国時代末期、木曽家は徳川家康に従った為、天正18年(1590)に家康と共に関東に移封となりこの地を離れました。興禅寺は外護者を失い一時衰退しましたが江戸時代に入ると木曽家の元家臣で慶長5年(1600)の関が原の戦いで徳川家に見方し代官となった山村家の菩提寺となり再び寺運が隆盛しました。寛永18年(1641)、明治39年(1906)、昭和2年(1927)と火災により大きな被害を受け歴史的建築物で格式が高かった勅使門(室町時代建築、国指定重要文化財)も失っています。境内には石庭として広さ日本一とされる看雲庭(作庭家重森三玲作、雲海を模した枯山水庭園)をはじめ万松庭(池泉鑑賞式庭園)、昇竜の庭、須弥山の庭などの庭や木曽義仲の遺髪を納めた墓碑、山村家歴代の墓碑があります。
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