長野県・飯綱町・牟礼神社

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【 概 要 】−年代は不詳ですが諏訪大社の分霊を横吹の地に勧請し牟礼神社が創建されました。例祭も諏訪大社に習い御柱祭が7年毎に行われます。室町時代後期に、馬場先(古宮)に移りましたが慶長16年(1611)に北国街道が開削され牟礼宿(北国街道の宿場町で、金沢城(石川県金沢市)と江戸の中間にあたる為、参勤交代で北国街道を利用していた加賀藩主前田家は「武州加州道中堺碑」を設けて、ここを通過すると江戸藩邸と金沢城に飛脚で知らせました。又、佐渡金山で採掘された鉱物も牟礼宿が中継地となり専用の御蔵が設けられました。)が開かれると慶安4年(1651)に参拝が容易な現在地に遷座しています。牟礼神社に伝わる古文書には戦国時代から江戸時代初期にかけての宿場町や街道の史料が記載された貴重なもので昭和45年に飯綱町指定有形文化財に指定されています。
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