【 概 要 】−沙田神社の創建は不詳ですが古くから東筑摩郡波田村地鷺沢山口に鎮座し、大化5年(649)6月28日、勅命により国司が改めて勧請され朝廷から信仰されるようになったと伝えられています。大同年間(806〜810年)には坂上田村麻呂が八面大王討伐の戦勝祈願し、念願成就すると神意に感謝し国司と協力して社殿を造営したそうです。その後、仁寿元年(851)に社殿が造営、仁寿3年(853)に二条大納言有季を勅使として神位を賜り、延長5年(927)の延喜式神名帳では信濃国筑摩郡「沙田神社」として記載されています。元享年間(1321〜23)の兵火で焼失しますが、深志城の城主島立右近貞永が再建し、特に境内は深志城(松本城)からみると南西(坤=ひつじさる)に当たる為、社殿を松本城に向け裏鬼門の鎮守として歴代松本城の城主から庇護の対象になりました。戦国時代に松本城の城主となった小笠原政長が社地70余町、社領70石を寄進し、江戸時代は歴代藩主の祈願所として社領が安堵されています。江戸時代になると信濃国三宮である事から「三之宮」と称されるようになり三之宮=産の宮に因み安産に御利益があるとして広く信仰を広めました。明治5年に郷社に、明治34年4月5日に県社に列し明治40年9月20日に神饌幣帛料供進に指定されています。祭神(彦火々出見尊・豊玉姫命・沙土煮命)は穂高神社の系統とされますが、例祭では諏訪大社と同様な御柱祭(松本市指定無形民俗文化財)が行われています。
|