長野県・大鹿村・福徳寺

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大鹿村:福徳寺
【 概 要 】−福徳寺は平安時代末期に創建されたと伝わる寺院で、本堂は鎌倉時代の建築として国指定重要文化財に指定されています。福徳寺の歴史的経緯は資料が無く判りませんが境内の近くには大河原城が築かれていた事から南北朝時代に城主だった香坂高宗とは関係が深かったと推察されます。香坂高宗は鎌倉時代末期から室町時代初期の武将で、南北朝時代には南朝方の有力武将として活躍し興国4年・康永2年(1343)には宗良親王(後醍醐天皇の皇子)を居城である大河原城に迎え、当地域の南朝方の拠点としました。宗良親王は天台宗の寺院である妙法院(京都府京都市東山区妙法院前側町)に入り、正中2年(1325)には妙法院門跡を継承、元徳2年(1330)には天台座主に就任している事からも、同じ天台宗の福徳寺にも参拝に訪れた可能性が高いと思われます。正平24年/応安2年(1369)には北朝方の上杉朝房(関東管領、信濃守護職)が大河原城を攻めている事から福徳寺も被害を受けていたと推察されますが、本堂は鎌倉時代の建築とされる為、最小限の被害に止まったようです。大河原の地は宗良親王の終焉の地の有力候補地で、応永14年(1407)には香坂高宗も大河原城で死没、しかしその後も香坂氏が数代に渡り城主を歴任している為、福徳寺も庇護されたと思われます。
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